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米津玄師、子どもたちへの祝福を願った「パプリカ」インタビュー

米津玄師の画像

5人がいて「パプリカ」ができた

「パプリカ」はどのようにして作られたのでしょうか?
Foorinをオーディションで選ばせてもらって、そこから5人と同じ年頃の
自分を思い浮かべて自己投影をしていった感じですね。
子供の頃、山で遊び回ったり、川で泳いだり、いろんなことを山で教えて
もらった記憶があるんですが、そのことをFoorinを見て思い出しました。
小学生の時に聴いてた音楽っていまだに覚えてたりするんですよね。
今になって聴き返してみると、結構大変なことをやっていて、
作っている側が面白いと思うものがちゃんと提示していた。
だから、自分が受け止めてきたものを、子どもにおもねるのではなく、
子どもと同じ目線に立って作るのが大事だと思いました。
「パプリカ」というタイトルは?
音の響きですね。パプリカという物自体のポップな感じ、かわいい感じもあって。
わかりやすい意味は無いですけど、
何も考えていないと思われる事への危惧もあります。
大人になると、本当は何でもやっていいのに、
論理的な思考回路に縛られてしまう感じがあると思うんですよね。
でも、子ども向けの絵本を見ても、どこか荒唐無稽な感じがあって、
イマジネーションの世界なんですよね。
幼稚園にクマが転校してきたっていいし、みんなでクジラと綱引きしてもいい。
わかりやすい意味を説明するのも大事なんですけど
、本来そういう説明できないブラックボックス的なところがあるから、
音楽のエモーションがある。サビの「パプリ〜カ」という歌も、
メロディと節回しの気持ちよさがあって、それは音楽にとってとても大事な根源的な感情なんです。
だからあそこは一番難しいと思ってたんですけど、
無理言って歌ってもらいました。

”小さな物語”が結果として大きくなっていけばいい

「パプリカ」は未来を見据えた曲ですが、過去に思いを馳せる曲でもある。
米津さんが子ども時代を思い返したように、
子どもたちが10年、20年経った後に思い返すことになるかもしれない。
そういう役割を果たす曲だと思うんです。
やっぱり応援ソングを作ってほしい、と言われたときに、
果たして自分にできるんだろうかと思いました。
子どもの頃から、わかりやすく大きなもの、壮大なものに対する不信感があって、
あそこで歌われてる歌詞を信じられないんですよ。
そういう人間として生まれ育ってしまったんです。だから、デカいものじゃなくていい、
子どもの頃、じいちゃんの田舎で感じたことを書こうと。
それは小さなことだけど、でも、それでいいと思ったんです。
小さな物語の中に5人がいて。
小さな中で巻き起こっていることが、
最終的に、童謡とか、日本の風土感とか、ある種のノスタルジーを通過して、
NHKという大きなものの中で、
結果としてそれが大きくなっていけばいい。
自分が作れる応援ソングというのは、
そういうところにしかないんだろうなって感じますね。

5人を選んだ瞬間から、自分が作る1曲によって5人の
人生が大きく動くわけじゃないですか。
そうなった時に、生半可なものは作れないと思ったんです。
自分はその5人の後を押すカタパルトのような
機能を果たさなければならない。
そうなったときに、自分の中にあるものを信用しなければならない。
言葉にするのは難しいですけれど。

思い出の中で糧になる

「パプリカ」の歌詞は、一人で木陰で泣いている子の情景を描いた2番も含めて、
「誰かを応援する」ということの難しさにすごく誠実に向き合って書かれているように感じられます。
それは必然的にそうなったんだと思うんです。
「みんなのうた」で放送される、
子どもが歌って踊れる応援ソングというオーダーがあって、
でも、実際に作る時点で
「子どもに応援ソングを歌わせるって、どういうことだろう」ってハタと気付いたんです。
本来、子どもって応援される側の人間じゃないか、俺は何をやっているんだろうと。
子どもが歌う応援ソングというのはイビツなことだと思うようになって、
なおさら「がんばれ」とか、そういう言葉は死んでも歌わせられない。

「パプリカ」が完成した後、全員で打ち上げをしたんです。
そこで最後に自分が話すことになった時、出てきた言葉があって。
これから先、5人にはつらいことが増えていくかもしれない。
いつか夜中に一人で部屋の中で泣くような日もくるだろう。
でも、そうなったときに、10年前、15年前に「パプリカ」という曲があって
、Foorinというプロジェクトがあって、
ああいうことをやってたなって思い返して、それが何らかの祝福になってほしい、
そういう存在であってほしいという話をしました。
そういう意味で、10年後、15年後にこの曲の真価が発揮されるかもしれないですね。
自分自身がそうですからね。
子どもの頃に見ていたものに祝福されながら、
それが今作っている音楽に還元されている。
そういう小さな物語、小さいものを作ろうとしたんだと思います。

(2018年8月、制作当時に取材されたものです)